ノルウェイの森

村上春樹氏の最新作「1Q84」を、上下巻ともに購入したのに、まだ1ページも読んでいない。
おもえば、彼の作品をハードカバーで新品で買ったのはこれが初めてだ。殆どが文庫で、「中国行きのスローボート」のみ中古でハードカバーを買った。
つまり、新作として発売されてからすぐに読んだことが今までにないのである。
今作をなぜ通例とは違って割りと早めに入手したのかと言えば、やはり爆発的な売れ行きと無関係ではない。
これまで村上春樹について、それほど意見を表明していなかったような人々までが、この作品を論じているように感じ始めたからだ。
ノーベル賞の有力候補に上ったり、世界的に読者を獲得するなど、現代の日本の作家でもっともコントラヴァーシャルな存在として認められてから、これまでのファンは興奮し、そうでもない人々は現象として関心を持ち、そして対村上派と目される人々にとっては俄然重要な存在になったわけだ。
正直に告白すれば、僕は村上春樹氏の小説のファンだとは言い切れない。以前も書いたことがあるけれど、彼のパーソナリティーの方にずっと興味があるのだ。
今まで以上に幅広く多くの読者を得た「1Q84」をリアルタイムで読むことは、もはや好きや嫌いの問題ではなく、文芸に興味を持つ人間としては避けられないように感じられる。例えばビートルズの歌は、アンチであろうがクラシックのファンであろうが、聴かないでいるわけには行かなかったはずだ。それは言い換えれば「社会現象」となるのだろうが、その切迫感というのは文学の分野では今まで体験したことがなかった。大学時代に「ノルウェイの森」の話題で盛り上がったのは覚えているけれど、今回はきっとその比ではないだろう。
切羽詰った感覚があるのになぜ読み始めないのか。それは小説からだいぶ離れてしまっていたというのが一つ、そしてまだその前に読み出した本が終わっていないのが一つ。しかし最大の原因は、買い終わった時点でその「切羽詰まった感覚」が収まってしまったことだろう。
真の名作として長く語り継がれるような本は、こういう輩も数多く含んでいるはずだ。
それから、全く読んでいないのにその本の話題をするというのも、エポックな作品の条件と言えるだろう。
まあ、文庫が出る前には読むだろう。きっと。
ノルウェイの森」と言えば、コーナーショップのヒンドゥー語カバーが最高だ。

ボーン・フォー・ザ・セブンス・タイム

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