アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー

いつも夜中に書いて(打って)いるこのブログだが、今日はなんだか君の心が少し開いたような気がする、ではなく、なんだか今日いけそうな気がする、でもなくて、今日は昼間が暇なので今から書いておこうと思う。
朝起きてから今(午後四時前)までに聴いたCDを列挙する。クープ『ワルツ・フォー・クープ』、ジョン・コルトレーン『バラッズ』、エドゥ・ロボ『セルジオ・メンデス・プレゼンツ・ロボ』、そして今聴いているのがロス・ロボス『コロッサル・ヘッド』。前者2枚はステレオで、後者2枚は今パソコンでヘッドフォンをして聴いている。
どれもそれぞれ素晴らしい作品で、特に後者2枚は何度も聴いているのに全く飽きない。エドゥ・ロボなんてライナー翻訳するためにこの短い期間で10回以上聴いただろうか。それでも汲めど尽きせぬ滋味深さがあるのだ。彼のアルバムは他に1枚も聴いた事がないけれど、多分セルメンのプロデュースである今作が一番ツボにはまっているんじゃないか、という気がする。ネイティヴ過ぎずポップ過ぎず、絶妙なバランスなのだ。とにかくこのアルバムは絶対に自分の中で重要な位置を占めることになるだろう。
そしてコルトレーンの『バラッズ』は本当に美しい作品だ。前から持ってはいたけれどきちんと聴いてはおらず、小西さんの本に紹介されていたのを読んで改めて引っ張り出したのだが、こんなにインティメットでリラックスしたコルトレーンの音楽は初めて聴いたような気がする。マッコイ・タイナーの誠実でリリカルなタッチとコルトレーンの慈しみ深いサックスの音色が溶け合って、優しさに包まれる。小西さんが言うように、「シンガーソングライターの作品を聴くように」聴くことが出来ると思った。このCDは中古盤なのだが、紙ジャケットに煙草のにおいが染み付いている。僕が煙草をやめたのは4年ほど前だから、これは以前の持ち主がつけたのだろう。その臭いがまた、このアルバムのかもし出す親密な空気にぴったりと合っている。それほど嫌ではない。
ロス・ロボスは、なんとノンシャランスな音楽なんだろうか。ブレイヴ・コンボよりずっと知名度も人気もあるだろうし、このアルバムは名盤の誉れを受けているにも関わらず、全く他人の目というものを気にしていない感じがする。無意識過剰(by横山剣)音楽とはこれのことじゃないだろうか。ライ・クーダーはどう思うんだろう。全曲最高だけれど、「マス・イ・マス」がキラーかな。
それと比べてしまうと、クープは少し自意識が強すぎる気はするが、それがこの作品の美しさを形作っているのだろうし、悪いことではない。ただこのところクラブ・ジャズ系作品を聴き過ぎて点が辛くなってしまっているのかもしれないが、個人的には少し淡白な印象が否めない。「サマー・サン」は明るく弾けて素敵な曲だが、やはりメロディにもう少し濃厚なものを求めたい気はする。でもそう思うのは多分、他の3枚が濃すぎるからだろう。勿論とても良いアルバムであることは自明の理。『クープ・アイランド』のスウィング・ジャズも久しぶりに聴いてみよう。

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