グロウ・オールド・ウィズ・ミー

ここ最近で一番いい天気だった今日は、朝から散歩がてらコンビニへ。去年の今頃ここへ引越してきたけれど、近所に満開の桜並木があることを今日初めて知った。それは社宅の敷地内で、なんだか贅沢過ぎるんじゃないかとさえ思った。別にそこへ入るのは許可が要るわけでもないし、中へ入らなくても十分堪能は出来るので、妬む理由はないのだが。春が来ると住人達はとても誇らしくなるのだろうな。
我が家の目の前には一本の桜の木があって、二階の窓からとてもよく見える。家を選ぶ時は気にもしなかったけれど、桜が見える所に決めてラッキーだった。
ある番組でスマップの中居さんが「花が綺麗だと思う自分と、自分に酔っているだけだと疑う自分がいる」というようなことを言っていて、それに対してタモリさんが「若い頃は花より団子でも、年をとると花の良さがしみじみ分かるようになる。今はその途中なんだ」と話していた。本当に花の美しさが分かる日がいつか来るのなら、その日が待ち遠しい。確かに三十を過ぎて、少しずつ物の見方が変化しているとは思う。多分大方の人が歩むべき道を着実に歩んでいるのだろう。このまま流れに身を任せれば、もっと人生がカラフルに見えてくるのなら、年をとることに抵抗はなくなるはずだ。そんな風に思えるようになったのも、一つ前進したということだろう。そうか、老いとは前進なのか。
今日は『恋の門』のサウンドトラックアルバムを聴いた。サンボマスターの「月に咲く花のようになるの」がとても好きだ。胸をかきむしるようなどうしようもない衝動を、ロックではなくヤングソウルに文学的に閉じ込めていて、どこから切っても好みだとしか言えない。ここには若さがあるが、出口はあってその先も見える。「はじめようぜ」という台詞で終わるところが素晴らしい。