中国行きのスローボート

昨日は村上春樹さんの登場(頭の中に)によって救われたこの日記。今日は続編。小説家村上春樹に迫りたいと思う(というほどでは全然ない)。
僕が最初に読んだ村上氏の小説は、大学時代に友人に薦められた「ノルウェイの森」。流行のピークは過ぎていた頃だが、周りの人たちは皆すでに読んでいたようで、登場人物の二人の女の子のどちらがいいか、なんていう話で盛り上がっていた。一人蚊帳の外にいるのも癪で、ビートルズの曲と同じタイトルだという親近感もあり、読んでみる事にしたのだった。するとビートルズの要素はタイトルだけで、あとはかなりハードな恋愛小説だと思った。しかし僕が惹きつけられたのは内容そのものよりも、主人公の「僕」というキャラクターだった。若いのにどこか達観していて、普通の大学生とは明らかに違うのに、周りから普通だと言われ、自分でも完全に普通だと思い込んでいる、あの「僕」。作者の村上氏自身の投影かと最初は思ったが当然そうではなく、「僕」はただ鳥瞰的に舞台となる小さなコミュニティーを見ている、所謂「神の視点」に近い存在だと気づいた。それならより「僕」=村上春樹ではないか、というとそうではなく、ほどんど空気か風のような存在として数多くの個性豊かな登場人物を側で見ているだけなのだ。「僕」は作者の存在を知らない、といえばいいのか。あのようにクールで悟っているように見えるのは、結局中空であるのと同じなのだ。初期作品は文体への評価が多いと思うのだが、実は物語の設定、構造自体がもうすでにオリジナルだったのだと思う。その後はデビュー作「風の歌を聴け」から順々に読んで行った。「ダンス・ダンス・ダンス」まではやはり「僕」という主人公のファンだったような気がする。その後は中空的な「僕」を逸脱した主人公が登場し、よりスケールが大きな作風になっていくのだが(「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」など)、もちろんそれらも素晴らしいのだが、僕はどうしてもあの「僕」を懐かしく思ってしまう。それは正当な評価ではなく、単なる個人的な趣味なのだが。一番読み返した作品は「羊をめぐる冒険」、一番好きな短編は「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」。ありきたりすぎるのだろうきっと。さて、明日は村上春樹特集第三弾、エッセイその他編、の予定。
さてCDも紹介せねば。村上さんといえばジャズとクラシックとビーチボーイズ。そこで今日はブライアン・ウィルソン先生のソロ作品を。なんとなく世間の評価がファーストの「ブライアン・ウィルソン」を大きく下回っている気がしないでもないが、僕はこのアルバムもとても好きだ。そういえば松本人志さんの「大日本人」を川崎の映画館で見たとき、上映前のBGMがこれだった。ちょっとテイストは違うけど、なんだか嬉しかった。「イマジネーション」の天才つながり、というところだろうか(勿論偶然だろうけど)。

Imagination

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